現日常の断片 · げん · 現にあるもの
日記
路地の高さで書かれたノート。狭いアパート、月五万円の家賃、電車の移動、命の時間で支払う灰色の労働日。
読み方について
これは章立てで分かれた本ではありません。ふたつの物語が並んで進む、ひとつづきの読書です。東京の路地で書かれた私的なノートと、同じ街の裏側で、目が慣れたときにだけ見えてくる幻想の糸。
現日常の断片 · げん · 現にあるもの
路地の高さで書かれたノート。狭いアパート、月五万円の家賃、電車の移動、命の時間で支払う灰色の労働日。
幻マジックリアリズム · げん · 現れるもの
誰も見ていないとき、同じ街で起きること。雨の下にひらく千年の森、霧のなかの巨大なフクロウ、杉に隠された図書館。
有限であることこそ美しい。有限のなかで最善の戦いを。
序文より
読書のはじまり
私はそこにいた。存在と人生のその瞬間に、東京のあのいわゆるミニアパートでひとり。灰色がかった空気の一日だった……
ユミコ。それが彼女の名前だった。バーで偶然に出会った。名字で「林さん」と、丁寧の接尾辞をつけて呼ばなければならなかった……
歩く、歩く、もう何日も歩いている。最初の数百時間は素晴らしかった。辿り着くためではなく、歩くという行為そのもののために歩いていた。
夜明け前、オレンジ色の猫の人形がバーのカウンターに落ちる。ユミコと私は、誰にも見せたくない壊れた部分を何年も隠し、本当の自分を見ても怖がらない誰かを待っていたことに気づく。
「君は丸二年眠っていた」とフクロウが言う。振り向くと、十五歳の自分と向き合う。メダルを抱え、過度な努力で指を傷めた怯える少年。もう重荷を下ろし、抱きしめる時だった。